リーマンショック後の派遣ギリ…准看護師の資格取得後、ワーキングホリデー行きを決意

summy1985
リーマンショックで容赦なく派遣ギリとなりました。そんな派遣の恐ろしさを思い知り、准看護師の資格を友達にも会えず辛かった日もありながらも2年間かけて取得しました。順調に准看護師として働いていましたが、どうしてもワーキングホリデーの夢を諦められず現職を休職してワーキングホリデーに行くことを決意しました!

私は、高校卒業後地元の小さい会社の事務員として就職しました。
その後、数年勤務したのちに事務職と転々とし1、2年で会社を辞めてしまうとういう状況が続きました。
そんな時に、派遣が一大ブームで派遣の事務職が引く手あまたの時代に派遣で企業を何社か転々としており、最終的には一部上場の大手企業で1年半ほど働いた時でした。

それまでの私は特に何も考えておらず、派遣だと結構いい給料が貰えるので、その状況に満足していました。
またその時は派遣でも一生この会社に勤めていけるかもなんて考えも持ったりしていました。

なぜなら、派遣の先輩が7年も同じ企業で派遣されている人もいたし、時給も破格の値段で働いていました。
それでもその時代は、その人を正規雇用することなく、高いマージン料を払ってまでも、その人に来てもらいたかったのだと思います。
私も、何社からか望むなら正規雇用も考えると言われたのですが、正規雇用になると月給自体が下がってしまうのと、その仕事を一生は無理と考え、断ってきました。

そして、彼氏とも同棲していたため経済的にもそんなに苦しくもなく、我慢することなど何もないくらいのお給料はいただいていました。
ですが、リーマンショックがあってから一斉に派遣は容赦なく全員派遣ギリになりました。
契約違反ではないので何も言えませんでしたが、これが派遣の恐ろしさだと思い知りました。
その後派遣の仕事は全くなくなり、工場などのライン作業でさえ派遣の仕事がない時代でした。

そのため、私は次こそは絶対に正規雇用がいいと思い何社も何社も面接を受けて、どうにか就職したものの募集していた仕事内容とは違うことをやらされたり、基本給が低いため残業を月に30時間しても派遣の時ほど給与がもらえず、生活の質も落とさなければならなかったため、ストレスの溜まる一方でした。
また、同棲していた彼氏とも先が見えず同棲を解消しようかなと悩んでいた頃でした。

資格をとる決心

私が人生の中で一番大きなターニングポイントは資格を取ったことです。
その資格とは准看護師の資格です。

会社を1年弱勤めましたが、面白みもなく時間も長いため会社に行きたくない日々が続きました。
仕事とは全てが楽しいわけではありませんが、面白いこともないと続きません。
私には、その仕事が合わず蕁麻疹さえ出るようになっていたため、退職を決意しました。

その時に今後自分に何ができるか、また転職を繰り返したところで自分が成長できるか、そして年を重ねた時に転職先があるかなどを考え資格を取ろうと決意しました。
なんの資格がいいか全くわからず、また小さい頃からの夢などもなかったため、その時に24歳でしたがこの歳でも資格がとるのが困難でないこと、需要がある職業、社会的地位がそこそこ高い職業などを考え、医療系なら今後もっと需要があると考え、資格を取るために費やした時間もお金もすぐに回収できると考えたからです。

本当はその時に海外にワーキングホリデーも行きたかったのですが、資格を取った方が今後に有利と考え、受験しました。
思いたった時は一次試験も終わっており、二次試験でどうにか合格することができましたが、もし受験に失敗していたら海外に行っていたのかもしれません。

その後、彼氏とも別れ一人暮らしをしながら看護学校に通い、空いてる時間にバイトをしながら生活費と学費を支払っていくのに精一杯で全く遊ばない生活が2年続きました。
本当にお金がなさすぎてご飯を食べれなかったり、友達とご飯に行くのもお金がないため断ったりもしていました。
本当に辛くて泣いた日もありました。
勉強も大変だし、バイトもしなくては生活できないし、ストレスが溜まっても外に遊びに行くお金もありませんでした。
でも、自分で行くと決めたことですし、親元離れた身なので親には頼りたくなかったので、自分一人でどうにかしようと決めていました。

そして、大切な友達にも会えず辛かった2年も終わり、資格も無事に取得することができました。

その後、町のクリニックに就職して数年はなれない日が続きましたが、どうにか日々の生活に慣れてきた頃にまた何かにチャレンジしたくなりました。

やりたかったこと諦めない信念

私は、看護師になって向いているのかは分かりませんが、毎日嫌だと思わずにできる仕事が初めてで毎日何かしらの刺激があるので飽きずにやってこれたのだと思います。
そんな時に、まだまだチャレンジしたいことっていっぱいあるなと思い、自分のやりたかったことを紙に書いた時、私は旅行が好きで年に数回海外などにも行きますが、そんな時に困るのがコミュニケーション能力です。
全く英語のできない私はジェスチャーのみで相手に伝えるという手段で旅行していました。

看護学校に行く時にワーキングホリデーに行くか迷いましたが、結局は無難な道に進んでしまったため、冒険がしてみたくなりました。
ですが、今の仕事も好きで辞めたくないなとずっと悩んでいました。
そんな時に患者さんに『今後の人生で今日が一番若いんだよ』と言われ、とても心に響きそれからというもの、海外で留学したいという気持ちが強くなり、職場の先輩に相談もしました。
ですが、私の中で5年勤めたら、言おうと決めていたのでそれに向けて貯金や副業を始めました。
そして目標の金額が溜まった時に、上司に相談したところ、『一度きりの人生なんだから、行ってきなさい』と言ってくれ、『この会社に戻ってくるのを条件に休職を許可する』と言ってくれました。
その後は、トントン拍子で日程も行く国も決めて仕事の引き継ぎなどもあるので、話をしてから4ヶ月後に休職し、夢だった海外留学を数ヶ月行くことができました。