「才能」とは何か 私が自信を手に入れたわけ

もちだゆり
小4の時の家庭訪問で先生が「才能」があると言った一言が生涯努力を続け、困難なことがあっても諦めずに前に進んでいく力になりました。自分に自信のなかった少女時代に先生の一言で高校受験でも1日10時間勉強し、現役で旧帝大に合格することもできた。

自分に自信のなかった少女時代

「私には何もない。きっとお腹の中でお兄ちゃんに吸い取られちゃったんだ」
10歳まで私はこう信じていた。
私には2歳年上の兄がいる。兄は音楽が得意だ。いや、得意なんてものじゃない。「天才」と言っていいくらい才能がある。小学校1年生でベートーベンの「第九」(それも原曲のまま)を弾きこなしてしまうくらい。何となく兄にピアノを習わせてみた両親は驚いた。ちなみに両親は音楽をやっていない。なぜか奇跡は起こるものだと。そして、第二子である私にもピアノを習わせた。
しかし、どうしたものか、まるでできない。私はリズムをとるのが苦手で、メトロノームに合わせて鍵盤をたたくことができなかった。1年何となく続けて、鉄棒から落ちて手首の骨を折った時に「ちょうどいいや」と思ってピアノをやめた。両親は全く止めなかった。でも私は悔しくなかった。兄がピアノを弾けるのだ。私が弾く必要はない。むしろ、足して2で割ってちょうどいい。
私は音楽ができなければ、勉強もあまりできるわけではなかった。「できない」というか、普通。私は秀でているものが何もなかった。しかし、それは私がそう思い込んでいただけだった。

小4の時の先生の一言

「ゆりさんには数学の才能がある」
私の母が家庭訪問でそう聞いたのは、小学校4年生のときのことだ。「数学の才能?!」母は仰天した。遊びから帰って、その話を聞いた私も仰天した。
私は確かに算数が好きだったし、テストで毎回80点以上とっていた。しかし、自分がすごいなんて全然思わなかった。なぜなら周りの子が賢くて、クラスの大半が80点以上取っていたからだ。しかも、「算数」ではなく「数学」?「数学」って中学校から習う、あの?私は半信半疑だったが、そこまで真っ向から褒められたのは生まれて初めてで、ムズムズとする嬉しさが私の体を駆け巡っていた。
とは言っても、次の日から何かが大きく変化したわけではない。何となく勉強し、何となく友達と遊ぶだけだ。しかし、先生の言った一言は確実に私の人生に変化を与えた。

小5で転校

私は父の仕事の都合で小学校5年生のとき転校した。転校先でも何か特別困ることなく、普通に毎日を過ごしていた。しかし、このときからだ。「頭いいね!」と言われることが急に増えたのは。
私は塾で猛勉強したわけでも家でスパルタ教育を受けていたわけでもない。学校の授業を普通に受け、普通に宿題をしていただけだ。私は不思議に思っていたが、急に先生に言われた前述の一言を思い出した。「あっ先生の言っていた数学の才能って本当だったのかな?」
自分に何一つ誇れるものがなかった幼少期。11歳で初めて自信の持てるものが生まれた気がした。

高校卒業までの私

もしかして私は、勉強ができるのではないか?思い込みの力は凄かった。授業の内容はよく頭に入ってくるし、問題は手が勝手に書いてしまうかのようにスラスラ解ける。そうか、私には何もないわけではなかったんだ。
中学校に入ってしばらくして、私は数学だけではなく他の教科にも力を入れ始めた。勉強が行き詰まるとき、脳裏によぎるのは先生のあの言葉。できる。絶対にできる。私に才能があるのだから。気がつくと、学年で3本の指に入るほど成績が良くなっていた。数学はもちろん、他の教科の成績も良く、3年生のとき、ついにオール5をとった。まあ副教科はからっきしだったが。
高校は進学校に行った。地元の公立中学と比較にならないくらいレベルが高かったが、そこでの成績も悪くなかった。私は努力を怠ることなく1日10時間勉強し、現役で旧帝大に合格した。しかし、自慢話はここまでだ。

才能と努力

大学では周りの生徒があまりにも賢すぎて、私は単位をとるのでいっぱいいっぱいだった。ここまでくると、先生がかつて言っていた私の中に秘めているという「数学の才能」に疑問を感じていた。私に数学の才能があるのなら、このキャンパス中才能で溢れているではないか。よく考えたら、小学校の先生はあくまで教育学部を出た「小学校の先生」でしかなく、数学が専門なわけではない。先生に才能が見抜けるのか。
しかし、私に才能があるのかどうかはさして問題ではない。ときにはハッタリが本物になるのだ。そして、私が立ち止まりそうな時、先生の一言がいつも脳裏をよぎり私に力を与えていたことは紛れもない事実だ。
さらに、少なくとも私は「努力をすることができる人間だ」ということがよくわかった。私は「何もない」人間ではない。その事実は生涯自分を助けてくれるに違いない。
才能を見出すことは困難だ。自分のものも、他人のものも。しかし、「才能がある」と信じることは有意義で、たとえ何もなかったとしても、もともとの状態に戻るわけではない。確実に前に進めるのだ。だから、「自分の才能がわからない」という人も、嘘でもいいから何かを信じて前に進めば違う景色が見えると思う。
最後に、私に自信をつけさせてくれた先生。ありがとうございます。私はこれからも努力を続け、困難なことがあっても諦めずに前に進んでいきます。