私の妻は親友~孤独依存体質の私がただ1人信用できる人物

池田道孝
孤独依存体質の私がただ1人信用できる人物それが「妻」です!妻はゴミ屋敷だった家の掃除・不要品の整理、食事もつくり、洗濯もしてくれました。さらに認知症の父の介護まで…。妻は何があっても時には厳しい助言をし、時には心から慰めてくれる人これからも妻に支えられながら生きていくことでしょう。

私はとにかくもてなかったです。
それだけではなくて、人とのコミュニケーションがうまくとれず悩んでいました。
それでも母親が生きている間は、掃除洗濯など家事を担当する人が家にいたから良かったのですが、母親が亡くなり、父も高齢化していましたから、家事などの行なう人が誰もいなくなったのです。

結婚前の自分の姿

家は自宅でしたが当然、掃除もろくにしないので荒れ果て、洗濯もできないので毎回、クリーニングで食事は近くの総菜屋やコンビニで済ましていました。
さすがの父親も慌てて、「お前誰かいい人いないのか」と聞いても、私としては「いない」と答えるほかありませんでした。

そもそも、結婚以前に、女性とのつきあいは少しあったものの、最終的には別れることが多く、「一体何がいけないのか」と自問自答していました。
でもそう思う人は結構いて、あるサークルの独身者だけで飲み会をやっていた時に、こんな話をすると、「実はオレもなんだ」と賛同する話が聞けました。

私も当時、髪は仕事の時は整えますが、普段はぼさぼさでちょっと身だしなみについてはひどいと思っていました。

ちなみに、後の話になりますが、婚活のアドバイスをする人と話を機会があり、「人が良く仕事でそれなりに高いレベルにあってもお嫁さんが来てくれず困っている人はゴマンとおり、このままだと独身者がどんどん増える」という話があり、私だけではないのだなと回想しました。

嫁さんとの出逢い

そんな中、国際交流の会合で、ある女性と出会いましたが、何の気なしに、私は、「食事でもしませんか」と誘いました。
下心はあったかといえば全くなかったのです。その人が、結婚相手になるかどうかも考えませんでしたし、そもそも結構な年下でした。

しかし、食事をしてみるとよく話す女性で私は頷くことが多く、その女性と食事をするのが楽しかったため、金曜日の夜の食事会は定例会になりました。
食事をしてそのままバイバイという生活が続いたのですが、昔あった、msnメッセンジャーを立ち上げると、私の名前を書き、「おかえりなさい」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。

何しろ、家に帰っても認知症に入っている父親だけで会話もなかったですから、家に帰って「おかえり」と言ってくれたことに感動すら覚えました。
そこで思い切って、決心をして、「付き合って」と彼女にお願いしました。
私は実は自分の心に人が入ってくるのを極端に嫌い、本当にこの人と心の底から信頼し、心を通わせることが出来るのかといわば人間不信になっている面が今でもありますが、そのため、この言葉を言うのがとても勇気がいりました。

そして帰ってきた言葉が、意外でしたが、「いいよ、付き合おうか」でした。
こんな簡単でいいのかと思いましたが、実は嫁さんの真意は、私に魅力があったわけではなかったというのです。
確かに、嫁さんが言う、私の魅力は、とても優しいところはありますが、カッコイイとかイケメンであるとかそういう魅力は一切ないと断言していました。

その真意とは、「この人は、私がいなかったら、ずっと1人ぼっちで暮らすのだろうな。人がいいのに本当に気の毒な人だ。私が面倒見てあげなくちゃ」というものでした。
だから今でも時折、口に出すのは、「当時あなたが気の毒だから、なんとかしてあげないといけない」と思ったから結婚したと言うことでした。

実際、その後、嫁さんの母親とも会って話したのですが、「あの人はだらしない人だからあなたがしっかりしないといけない。ただ、あの人はあなたのいいなりになる人だろうね」とそういう印象を持ったそうです。

今度は、私の父と嫁さんが会いますが、父は、嫁さんのことを「目が輝いていた」と褒めてなんとか気に入ってもらいました。
後に父の認知症が本格化して、介護することになりますが、介護については嫁さんが一手に引き受けました。父の最期を看取ったのは実は、私ではなく嫁さんでした。

結婚後の自分の姿

そして結婚して、私の荒れ果てた家に乗り込みますが、掃除洗濯食など家事全般が得意な嫁さんは、荒れ果てた家を一気に建て直します。
まず、ゴミ屋敷だった家の掃除を行ない、不要品を整理し、家の間取りを広くし、食事もできあいのものではなく、自分でつくり、洗濯もしてくれました。

しばらくして、父と私でお金を出し合い、本格的に家を改築しますが、その際にも、ゴミを捨てました。
実は、父にとってゴミは宝だと言い張り、かなりの大げんかになりましたが、夜、資源ゴミの時に、色々なゴミ捨て場に行ってかなり整理できました。

これらのことの陣頭指揮を執ったのはすべて嫁さんで、私は嫁さんの指示の元動いていた感じです。
確かに年下ではありますが、文字通り、肝っ玉かあさんのような人であり、仕切り上手です。

今でも仕切っていますが、私はまあ嫁さんに任せれば十分だろうと言うことでだいたい言いなりになっています。

今は昔のようにゴミ屋敷改め、綺麗な家になり、快適に暮らしています。
嫁さんの指揮がなければここまでうまくいかなかったでしょう。私は嫁さんに有り余るほどの感謝をしています。

ただ、孤独依存症は嫁さんがいても治ることはなく、嫁さん以外、心を許せる友達はいません。嫁さんが妻であり、親友であるような立ち位置にあります。

だから私にとって嫁さんがもしいなければ生きている理由も見当たらないというのが本当のところです。
もし、あの時、嫁さんに付き合ってと言わなければ、ずっと1人で孤独に生活をしていて、仕事以外誰とも会わない生活が続いていたに違いありません。

サラリーマン時代、私は心の中で翌日が休日の時には、1人で、「明日は誰とも会わないだろうな」とつぶやいていたことを今でも思い出します。
仕事を淡々とこなしますが、あくまで仕事上の上辺のつきあいで仕事が終わると家に帰る、いるのは認知症だった父だけ、そんな生活でした。

こんな生活今でも続いていたら耐えられるはずもなく、どこかで仕事も辞めて人生漂流の道をたどっていたことでしょう。

そこで私から偉そうに助言めいたことは言えませんが、私には孤独依存症の人の気持ちは痛いほど理解できます。
それは幼少期の時にイジメを受けたとか、ひどい裏切りをされたとか、どこかで人間不信になる事案があったと想像しています。

でも、そういう人こそ人生で1人でもいいから、何があっても信じられる人がそばにいてくれるだけで大きくかわります。
バラ色になるとは言い切れませんが、安心して生活が出来るようになります。

単なる知り合いをいくら増やしても、いざとなる時は全く頼りになりません。
何があっても時には厳しい助言をし、時には心から慰めてくれる人、そういう人を1人そばにいるだけで、人生は楽になります。

私もこれからも妻の支えがあってなんとか生きていくことになると思います。