夢だった保育士になったが、もう1つの夢を諦めきれずオーストラリアへ

MR.Kale
小さい頃からの夢を叶え「保育士」になりました。しかし就職先は自分の教育方針とはちょっと違った…。そこで退職という道を選びました。さらに自分には留学したいという夢もあった。英語をかっこよく話したい!ただそれだけでオーストラリアに飛びました。

大きくなったら何になりたい?

保育園の卒園式「大きくなったらなにになりたい?」という質問に、「保育園の先生になりたい!」と答えた私は、ずっとその夢を持ち続け、保育士の専門学校に進んだ。
5歳離れた妹がいたこともあり、小さい頃から自分よりも小さな子供のお世話をするのが好きだった私は、ずっと保育士になることしか考えず、むしろ他にどんな選択肢があるのかさえ考えることもほとんどなく自分の進路を決めていた。

高校の成績は悪い方ではなかったので、進路相談では先生からいい大学や短大を勧められるものの、勉強があまり好きではなかった私は、保育の専門学校に入ることを決めたのだった。

専門学校では、同じ夢を持つ友達と卒業資格取得の為に必死に勉強し、卒業後は当たり前のように、夢の保育士になることしか考えていなかった。

専門学校の卒業間近になり、就職先が決まっていく友人たちを横目に、なぜか就活に気が進まない。夢の仕事を手にするまであとほんの少しのところだというのに。

学校の先生や母親から就活を急かされながら、3月ぎりぎり、やっと一つの園に履歴書を送り、面接がきまった。
選んだ園は、とにかく自宅から近かったこと、自転車で通える距離だったので、「とりあえず受けてみよう」それだけだった。
土壇場にわりと強かった私は、面接も難なくこなし、すんなり採用が決まった。

夢の職業

就職先の保育園は独特な教育を行う園だった。
一応知っていて就職はしたものの、そこまで深く考えていなかった私は、自分の知っている保育、教育スタイルとは全く違うことを、なかなか受け入れることができなかった

仕事が終わった後には勉強会が毎週行われた。
「自分はこんな保育をしたかったわけじゃないのに、なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。」そんな気持ちでいっぱいだったものの、新人だった私は、「ここで働いている限りは仕方ない」と気持ちを切り替え参加した。

それでも、同期や同じクラスを受け持つ先輩達とは歳も近かった事もあり、すぐに気が合い、仲良くなれた。
同僚達も皆、園の教育スタイルには疑問を持ちながらも、自分達のスタイルを取り入れてうまくバランスを取りながら仕事をしていたので、「この人達と一緒なら大丈夫」そう思った。

子供が大好きな私は、子供達との関わりや成長を通して保育士としての仕事を楽しみ、何よりも素晴らしい同僚に囲まれて仕事をすることができた。

選択の時

保育士として2年目を迎え、自分にも後輩ができた。
後輩ができた事で、保育士として自分にも少しずつ自信がつき始め、一年目と比べ、さらに楽しんで仕事をしている自分がいた。

そんな中、園長交代の知らせを受けた。現園長の体調不良が長引いていた為だった。
園長の交代で、今までよりもさらに園の教育スタイルを浸透させ、全職員が同じ考えを持って保育ができるようにと、勉強会にもさらに力を入れ始めた。
退職を考え始めたのは、その頃からだった。

「自分の保育がしたい」そんな気持ちでいっぱいだった。けれど、たった2年で今の仕事をやめてしまうなんて・・・。

葛藤の中、選択をする時がきた。
私は退職を選んだ。

夢だった保育士の仕事に就いたけれど、自分がなりたかった先生には、ここではなれないと思ったからだ。

そして退職をすると決めてから、今後自分はどうしていきたいのかと考え始めた。
自分の思い描いていた先生になる為に、他の園を探す事ももちろん選択肢にはあった。だけど、今の自分が本当にやりたい事・・・

高校卒業の時も、専門学校卒業の時も、「小さい頃からの夢だから」とただそれだけで、他の選択肢をあまり真剣に考えてこなかった。

きっと、子供の頃の夢を、自分で叶えてあげたかっただけかもしれない。
負けず嫌いな性格だから、自分でやりたいと言ったことを、最後まで押し通したかったのかもしれない。

そして次に何をしようかと、真剣に考えた結果、「よし、海外に行こう!」と思った。

本当の夢

小学校4年生の頃から母親に英語教室に行かされていた私は、英語が好きだった。
個人の英会話教室で、先生と一対一で教えてもらっていた分、好きなことを楽しく勉強できていた。

先生は日本人だったけれど、アメリカに住んだ経験もあり、よく「アメリカではね~」と海外生活の話をして「あなたも行ったらいいよ、留学してみたら?」と勧めてくれていた。

中学生の自分には、1人で海外に行くなんて、そんな勇気はさっぱりなかったけれど、綺麗な発音でカッコ良く英語を話す先生のようにいつかなりたいと思っていた。

英語教室は、中学の途中で先生が引っ越すからとやめてしまったものの、英語を好きになれた分、勉強も苦にならなかったおかげで、高校でも英語はトップの成績を取れていた。
そしていつか先生が勧めてくれていたように、「海外に住んでもっと英語を勉強したい。」と密かにずっと思い続けていた。

中学生の頃は怖くて行こうなんて気にならなかった海外。
でも今、自分で貯めたお金もある。仕事も辞めた。

今がチャンスだと思った。

思い立ったら行動は早い。
インターネットで海外留学について毎日のように調べた。
海外旅行にすら行ったことのなかった私は、どこの国がいいのかも、どうやって留学するのかすらも無知だったので、とにかく調べるしかなかった。

そして、オーストラリアが気候がいいこと、ワーキングホリデーという、勉強も仕事もできる制度があることを知り、そこに決めた。

せっかく行くなら英語をしっかり学びたい、そう思って日本人の少ない都市を選んだ。
なんとなく留学のプランが出来上がってから、両親に留学したいと告げた。

最初は急なことで驚いてはいたものの、私が英語を好きなことは誰もが知っていることだったので、「いいんじゃない」と返事をしてくれた。

新たな始まり

留学とは言ったものの、初めての海外、知らない土地で言葉も違う国で、どのくらいやっていけるのか不安だった私は、「とりあえず3ヶ月くらい行ってくるね」と家族や友達に告げ、旅立った。

語学学校に入ってみると、様々な国から色んな人達が来ていた。
年齢も職業もバラバラだけれど、みんな1人で自国を離れ英語を学ぼうという境遇は同じだったので、困った時は周りの人がすぐに助けてくれた。

言葉が通じなくても友達もすぐにでき、こうして夢のような海外生活がはじまったのだ

最初は不安もあったけれど、そんな不安はすぐにどこかに飛んでいき、もっともっとここに居たい、そう思うようになった。
3ヶ月の予定で日本を離れたが、気づけば9ヶ月も過ぎ、いつからか英語での会話に自信を持てるまでになっていた

次の夢は

子供の頃の夢を叶えるため、一度は保育士になったけれど、私の夢はそれだけじゃなかった。
海外に行って好きだった英語を肌で経験することで、沢山の人と出会い、小さかった自分の視野も広がった。

英語ができるようになったことで、ますますやりたいこと、やれることが増えた。

次は英語を使った仕事に就いて、さらに自分に磨きをかけたい。

英語を始めさせてくれた母親に感謝し、英語の楽しさを教えてくれ、背中を押し続けてくれた先生に感謝したい。

大人になるにつれて、自分の夢が変わったけれど、夢は沢山持っていていいんだ、どんどん叶えていけばいいんだと思えた。

きっと誰でも夢はあるはず。
そして夢は自分の成長と共に変わったり、増えたりする。
それでいいんだと思う。
だけど、夢は思い描いているだけではダメ、常に変化して行く夢に置いてけぼりにされないように、どんどん挑戦していけばいい。

さあ、次は、どんな夢を叶えよう?